シズハモ便り

  • シズハモ周辺散歩 太古の命が磨く百年前の雨 藤森神社の御神水 不ニ(ふじ)の水

    今日は藤森神社に湧き出ている御神水、「不二(ふじ)の水」をご紹介します。

    このお水は本殿右側の岩場から滝のように落ちるお水のことです。誰でもいつでも自由に汲むことができます。まろやかで二つとないほど美味しい水とされ、これを飲むと勝運を授かると言われています。

    しかし、このお水がすごいのはそれだけではありません。その地質学的な魅力も知ることで一層、ありがたさが増す特別なお水です。

    藤森神社の場所は断層が地下の水の流れをせき止めている場所で、この場所には水が湧き出しやすかったと考えられています。

    社伝によると創建は西暦203年とのことです。もしかしたら当時、清らかで豊かな水が湧き出して、それが古代の人々にご神徳と考えられて祀られた場所かもしれません。

    近年は都市化の進行と共に噴出量が減って、何度か深く掘り直した経緯があり、現在は地下約100mから汲み上げている地下水とのことです。

    伏見の名前の由来は、伏せ水、つまり地下水です。この名前が意味する通り、伏見は昔から湧水がとても豊富な場所でした。しかも伏見の水は鉄分が少ないため日本酒造りにとても適しており、水運の要所として米も集まっていたことから、伏見は江戸時代、酒造りの大産地となりました。

    かつて伏見の地下水は稲荷山など、近くの山に降った雨水と考えられていました。しかし近年は科学的データの蓄積によって、京都の盆地に集ったより広い山系の水がここ伏見に集まっていると考えられるようになりました。

    シズハモができた頃の雨、あるいはもっと昔の雨が藤森神社の御神水なのかもしれない、と思うとまたありがたく、人の命の短さとの違いも感慨深か感じられます。

    ところで伏見の水が京都北部の山々の花崗岩の美味しいミネラルを含むのに、途中で鉄分が取り除かれ、まろやかな特別な水になっている理由はなぜでしょうか?

    その理由は約二億年以上前の熱帯の深海へと遡ります。

    恐竜の時代、その海底では放散虫の殻が大量に堆積してチャートと呼ばれる珪酸質の岩ができていました。後にこれが日本へプレートの移動で運ばれ京都の地質の一部となりました。

    伏見には約100万年前、琵琶湖の元となる湖が一時的にありました。その頃、このチャートが湖底でミルフィーユの様に幾重にも重なりました。チャートは珪酸質で鉄分を含まないため、この地層によって濾過された水からは鉄分がなくなって、とても美味しい水になっているのです。

    不ニの水、こんな奇跡の連続が込められた水と思うと、そのありがたさと味わいも一層、引き立ってきます。もしお時間がございましたら、そんな時間の重なりを思い浮かべながら、一口味わってみてください。

    シズハモ会員をご招待する初釜茶会(New year tea ceremony)でもこのお水をお味見いただけます。どうぞお楽しみにご参加ください。

    Screenshot
  • 見えない影を作る、それが日本の照明なのかもしれない

    2026年度のオープンに向けてシズハモのリフォームが始まりました。

    記念すべき最初のリフォームは玄関灯でした。乳白色の小さな一つだけの丸型灯です。

    大正末期から昭和初期、このような乳白色の丸形カバーを被せた玄関灯が大いに流行しました。それまでの主流だった、裸電球、それに小さな傘をかけた照明よりギラツキが抑えられ、上品でモダンな照明として大正モダニズムの中、もてはやされました。

    そんな時代でも100年前の時代を生きた文豪、谷崎潤一郎は随筆、陰陽礼賛 “In Praise of Shadows” の中で、電球よりも黒い漆器等が美しく映える燭台の暗い灯りを尊び、こう記しています。「見えすぎるものを闇に押し込めたい」。

    近年はLED電球が普及して、さらに広く、より明るく照らし出すような照明が増えています。実際に明るい店舗ほどお客が集まる傾向があるようで、光の洪水には拍車がかかっています。

    でも前述のように闇の中にこそ美しさがあるという伝統的な日本の考え方、ここで一度振り返り、もう少し大切にした方がいい時期かもしれません。

    例えば古代から日本人の影に対するイメージはとてもポジティブでした。月影と言えば雲に映る影も含めた美しい月の光のこと。面影と言えば愛しい人のなんらかの実像のこと。木陰と言えば涼しくしてくれる快適な木の影のこと。影から、は見守る、助けるという言葉が付き物の言葉です。とにかく日本人は影が大好きです。

    一方、日本語の影の直訳となる英語、shadowのイメージはネガティブで良くないようです。光の対極の存在。実体がない偽、あるいは隠すべき存在。恐ろしさを感じる存在。これらが、いわゆる光を遮ったことでできたshadowという言葉のイメージのようです。

    シズハモでは、できる限り電灯の数を少なく、明るさも控えめにすることで、日本の影の美しさを呼び戻したい、と願っています。

    玄関も看板も、もっと場所が分かりやすいよう、グッと明るくすべき、というご意見もあるかもしれません。でもここはあえて古来の美しさを保つため、ということでご不便をお掛けして大変恐縮です。美の源としての暗がりがある施設であること、ご理解いただければ幸いです。

  • シズハモ周辺散歩|稲荷大社から案内標識を隠された魅惑の裏道、お産場道

    今日は、伏見稲荷大社のすぐ裏側にありながら、ほとんど案内されることのない秘密の道――産場稲荷社のある「お産場道」をご紹介します。産場稲荷社(さんばいなりしゃ)を中心に点在するお塚のある道が、通称「お産場道」と呼ばれています。

    産場稲荷社

    https://maps.app.goo.gl/Y3C9qsCrK5SiHHTBA?g_st=ic

    明治時代、稲荷山ではお塚信仰と呼ばれる、アニミズム的信仰が大流行しました。

    江戸時代まで、神社は「地域全体の共同の神様」、氏神として長く祀られてきました。しかし、江戸時代が終わり明治時代になると、神道は国の政治の骨格とされ、神社職員は公務員となり、稲荷社家による神職の世襲も否定されました。国家が政治の道具として神道の締め付けを強める中、より自由な新興宗教として稲荷山には自宅や仲間専用の私的なお塚が無秩序に建立されました。

    これらの無数のお塚は、大切にすることで自分達だけを守護してくれる神様がいると信じられていたことから、人々は競うようにお礼の鳥居を奉納しました。こうして、稲荷山はお塚と鳥居で埋め尽くされていきました。

    その後、稲荷大社境内とお塚の土地の境界は整備され、今、お塚は稲荷山の裏山側、お産場道沿いなどに集められています。

    稲荷大社境内の神苑から産場稲荷社等のお塚の集まるお産場道はすぐ近くであり、大きな道がそちらに続いているのですが、お産場道方向へ目立つ高さの標識、表示板はほぼありません。唯一、よーく探すと低めの石碑が一つ、おさんば道、と示しているだけです。

    稲荷大社としてはあえてカオスな民間信仰が点在する産婆道への案内を大きく示さないことで、稲荷大社の静寂と信仰の濃密さを守っているのかもしれません。あと、最近は人が増えたので一方通行にしたいのかもしれません。

    でも私にとってこの隠された産場道はアニミズム的で神仏混淆の古い時代のお狐信仰の形が、今なお深く細い道沿いに残されていると感じられ、とても興味深いエリアです。

    この道で神狐が宿るとされる小さな12ヶ月分の穴などを覗いて回っていると、なんだか冥界か天上界にある、本来見てはいけないものを見て回っているような、ワクワクする気持ちになります。

    人が未知の自然を畏れ敬う、原始宗教を始めた気持ちって、こんな少しおどろおどろしい環境から発生したんだろうな、と感じます。普通の稲荷大社境内にある標識を使っては到底行き着けないような場所ですが、Google Mapを使えばなんとか行き着けます。ご興味のある方は一度、覗かれてみるのはいかがでしょうか。

    これが唯一のお産場道への標識

    お塚、参拝所、茶屋、不思議な鳥居があります。稲荷山を裏まで回れた人達も使う道です。

  • シズハモ周辺散歩|今なお残る農村と竹林の原風景 石峰寺界隈

    今日は宝塔寺と伏見稲荷大社の間にある小さな山中の禅寺、石峰寺、そしてそこから稲荷大社に至る竹林の道についてご紹介します。

    石峰寺

    https://maps.app.goo.gl/AVDNaRHEeBqMkfMu7?g_st=ic

    竹林の道

    https://maps.app.goo.gl/vMgT5eZbq7Zaor7T8?g_st=ic

    石峰寺といえば江戸中期の画家、伊藤若冲の終焉の地。そして彼の墓とともに、晩年、彼が下絵を描いて石工に彫らせた五百羅漢像が竹林の中に眠る寺です。若冲は黄檗宗の禅僧らと親しく、特に売茶翁との親交が深かったことが知られています。

    伊藤若冲は世界的に大人気の画家です。2016年の展覧会には1日平均14000人以上が詰めかけ、最大入場待ち時間が5時間20分以上におよび、当時世界一入場者数の多い展覧会とされたそうです。その超絶技巧や奇抜な構成の絵は一度見たら誰もがその虜になるのかもしれません。

    石峰寺は江戸時代初期に、明代末の中国から来日した隠元禅師が開いた黄檗宗系の寺です。隠元禅師は来日が新しいためか、黄檗宗は当時の文人趣味をよく伝えていて、石峰寺を含め黄檗宗のお寺は特にその門が中国風なところに特徴を感じます。ちなみに隠元禅師は宇治に煎茶の製法を伝えた日本の煎茶道の開祖です。

    なお五百羅漢はかつて三脚などで傷つけられたからか撮影禁止です。

    どうぞご自分の目でお確かめください。とてもユーモラスで人間味あふれる若冲ならではの羅漢像です。

    苔むして山と一体となるその姿を見ると、古来、日本人が山を、その自然を神仏の宿る場所、そしていつか自らの魂も帰る場所と考えてきたその気持ちが少し分かる場所のような気もします。

    石峰寺と稲荷大社の間、竹林の道も面白い場所です。この周辺には不思議な事に今なお農村やタケノコ畑としての竹林の風景が広がっています。これが農耕神、伏見稲荷を囲んでいたこの地域の原風景なのだと思われます。

    住宅地の中に突然現れるそんな不思議な景色をご覧になりたい方は、足元が全く舗装されていないのを覚悟の上で踏み込まれるのもいいかもしれません。きっと何かとても懐かしい気持ちに包まれるかと思います。

  • シズハモ周辺散歩|隠れ家的な大規模山岳寺院、宝塔寺

    今日はシズハモから伏見稲荷までの間にある私の好きな大規模山岳寺院、宝塔寺をご紹介します。

    https://maps.app.goo.gl/pGgojDYvx3TtGQEC6?g_st=

    檀家の方以外には知られていない、京都を一望できるとても静かな山の上のお寺です。京都の中でも人混みに揉まれず、1人静かに歴史を楽しみたい方におすすめの秘密のスポットです。

    シズハモから伏見稲荷を目指して北に歩く途中、大きな石碑のある五叉路があります。辻クリニックの角です。ここが宝塔寺参道入口です。ここから東に向かって少し登っていくと山の上に数々の塔頭、仁王門と本堂、多宝塔が現れます。

    宝塔寺の前身は、平安時代に藤原基経が建立した極楽寺という大きなお寺でした。この極楽寺を管理し、後に日蓮宗の宝塔寺へと改宗させたのは、伏見稲荷大社の社家(神職の家系)である荷田(かだ)氏でした。

    宝塔寺は稲荷山の南端にあたり、荷田氏の菩提寺であると同時に、稲荷大社の神護寺として稲荷大社の参拝者らの崇敬を受け大変栄えました。また、修験道の山岳道場にもなっていました。

    ちなみにシズハモのある藤森玄蕃町の地名も、伏見稲荷大社の社家の玄番氏の屋敷があったことに因むと言われています。伏見稲荷からシズハモまでの間の伏見街道は江戸時代、数々の大規模な社家の屋敷が立ち並ぶ、壮大な社家街だったと言われています。

    江戸時代、なぜそれほど稲荷社家街が栄えていたかというと、商売繁盛を願う稲荷信仰の一大ブームがあったためです。社家とは今で言うと、稲荷定期参拝ツアーの企画運営会社の本社であり、地方に稲荷神社を増やして管轄するフランチャイズ本部を兼ねたような力を持つ存在でした。その菩提寺である日蓮宗寺院でも現世利益の実現を願っていたことから商人らの崇敬を集め、稲荷大社と合わせて宝塔寺への参拝が絶えなかったのも頷けます。なお宝塔寺は日蓮宗総本山の身延山にちなみ、西日本を担当する西身延とも呼ばれているそうです。

    この大きなお寺と稲荷大社の間には石峰寺という、また魅力的な静かで小さな山寺があります。また、そのお寺もご紹介したいと思っています。

    Screenshot
    • ここが宝塔寺への入り口です。辻クリニックの角にあたります。
    • 帰り道のこの景色も魅力的なお寺です。なお、参拝無料です。

  • 2026年は午年、藤森神社が大賑わいです

    藤森神社にお参りしたところ、午年とあって藤森神社は初詣客で大賑わいでした。本殿前には長い長い参拝者の列。いつもの比較的静かな境内を散歩している身としては新鮮な景色でした。

    シズハモがその西門にほぼ隣接する藤森神社は京都御所から見て「午(うま)の方角」、つまり南に位置することから、古来、馬の守護神とされてきたそうです。

    さらに5月5日、菖蒲の節句発祥の地として古くから武士の崇敬を集め、その日に行われる藤森祭では本当にスリリングな数々の馬の曲乗り、駆馬神事を見るため、毎年多くの人が集まります。

    境内には馬グッズを集めた資料館、数々の馬の像もあり、普段から乗馬や競馬の関係者、ファンも参拝に訪れる馬の神社として有名です。今年は午年ということで馬の神社、藤森神社で馬グッズをぜひ、という方が集まったようです。

    ちなみに今年は年明けから、午年にちなむ4種類の御朱印や午年のお守り、絵馬、神矢、熊手、干支置物などの授与が開始されたそうです。臨時の大きな授与所ではたくさんの楚々とした巫女さんが忙しそうに働いていらっしゃいました。

    実はシズハモの茶道具の多くは藤森神社のお茶室で茶道を学ばれていた元巫女さんからもたらされたというご縁があります。大小様々な縁起物を笑顔で渡す巫女さんと、それを手に嬉しそうに福を家へと持ち帰る多くのご参拝の方々の姿を見ているだけでとても幸せな気持ちをいただきました。

  • 100年前の息遣い ― 大正ロマンの風が吹く、ちいさなおうちの物語

    今から約100年前は大正末期から昭和初期にあたります。


    伝統的な日本文化の中に西洋文化が入ったことで、人々が和と洋の良さを合わせるようになり、武士が支配した封建的な枠組みが失われて大正デモクラシーが進んだことで、大正浪漫と呼ばれる華やかで自由で明るい雰囲気を持った時代でした。その時代を生きたシズハモの建物と共に、少し当時の衣食住等へ思いをはせてみたいと思います。


    当時のファッションとしては、年を重ねた大人については着物姿の男女が依然として多かったものの、女学生は袴にブーツ、着物の下にフリルのブラウスを合わせ、若い男性(モダンボーイ)たちは、夏にはカンカン帽、冬には中折れ帽とトンビコートを翻し歩いていました。


    京都は内陸に位置し、電気冷蔵庫もまだなかったことから、野菜や穀物、川魚、塩漬けや乾物の海の幸、鶏肉等が主な食材でした。これらの多くは舟、馬車などの荷車で市内へ日々、大量の薪炭と共に運ばれていました。


    当時は各家の竈で薪や炭が炊事に用いられていたことから、京町家は気密性より排煙の効率性を重視した非常に通気性が高い造りになっていました。また、上水道、下水道が普及するまで、水は水瓶に井戸水を貯めて節約しながら使っていました。トイレは汲み取り式でたい肥として近隣の農家が利用していました。


    当時の伏見区の人口は今の数割程度と低かった一方、田畑が多く、宇治茶の重要な生産地ともなっていました。シズハモの周辺もかつては美しい野山と畑だったようですが、京阪鉄道が敷設された後、徐々に沿線に人口が増えて今の賑やかな街並みになったようです。


    皆さまは、アメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンの『ちいさなおうち』のストーリーをご存知でしょうか。都会の波に飲まれ、忘れ去られそうになった古い家が、最後にもう一度思い出されて大切にされる物語です。この物語の中で家主は、ずっと先の時代まで大切にしてほしいとの思いを込め、家を大切に作ったとされています。この絵本の家はシズハモの町家にも通じるところがあるように思います。


    今の統計によると日本の木造住宅は駅周辺の再開発などのために平均30年で取り壊されているそうです。シズハモの京町家は戦災や阪神淡路大震災も乗り越えて、その3倍もの時を生き、この「ちいさなおうち」のように再び新たな光を浴びようとしています。


    今回のリフォームでは炭や煤を吸い込んできた廊下や柱、天井をあえて交換せずにそのまま活かし、この家の歴史として残そうとしています。一方、土葺き屋根の大量の土を下ろすことで、その重さに長年耐えられるように丈夫にかつ柔軟に作られたこの家の特別な伝統的な構造を活かします。そして、この先の時代にも多くの人に愛されつつ大切にされるような展示施設として残れる道を作る予定です。


    また、リフォームの様子など機会を見つけてご報告する予定です。時々シズハモ便りを覗いていただければ幸いです。

  • 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」—シズハモがセルフガイド形式を選んだ理由

    文化施設というと、講師から説明を受け、ガラス越しに展示物を見学し、短い体験をする、という形式を思い浮かべる方が多いかもしれません。

    シズハモでは、そうしたこれまでの一般的な形式とは異なる、講師の説明ではなく、来訪者が貸切の空間の中で自分のペースで見て学ぶ「セルフガイド」、自らの手で触って体感する「ハンズオン」という新しい形式を選びました。

    これは今の空間や時間に対して直接向き合う時間をゆっくりと楽しんでいただければ、との思いからです。

    茶華道に代表される日本の伝統文化は、古くから禅宗の根本的な考え方である不立文字、という言葉を最も大切にしてきました。これは本当に大切なものは他人の文字や言葉からではなく、自らが感じとるもの、という究極の教えです。

    フランスの作家サン=テグジュペリも著書『星の王子さま』の本の中で、「On ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux. (心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えないんだよ。)」という有名な言葉を残しています。洋の東西を問わず、ブログ、動画全盛期にある現代人はつい心で感じる、不立文字的な考え方を忘れがちかもしれません。シズハモがそんな時代のひと時を顧みる場所になれば幸いです。