今から約100年前は大正末期から昭和初期にあたります。
伝統的な日本文化の中に西洋文化が入ったことで、人々が和と洋の良さを合わせるようになり、武士が支配した封建的な枠組みが失われて大正デモクラシーが進んだことで、大正浪漫と呼ばれる華やかで自由で明るい雰囲気を持った時代でした。その時代を生きたシズハモの建物と共に、少し当時の衣食住等へ思いをはせてみたいと思います。
当時のファッションとしては、年を重ねた大人については着物姿の男女が依然として多かったものの、女学生は袴にブーツ、着物の下にフリルのブラウスを合わせ、若い男性(モダンボーイ)たちは、夏にはカンカン帽、冬には中折れ帽とトンビコートを翻し歩いていました。
京都は内陸に位置し、電気冷蔵庫もまだなかったことから、野菜や穀物、川魚、塩漬けや乾物の海の幸、鶏肉等が主な食材でした。これらの多くは舟、馬車などの荷車で市内へ日々、大量の薪炭と共に運ばれていました。
当時は各家の竈で薪や炭が炊事に用いられていたことから、京町家は気密性より排煙の効率性を重視した非常に通気性が高い造りになっていました。また、上水道、下水道が普及するまで、水は水瓶に井戸水を貯めて節約しながら使っていました。トイレは汲み取り式でたい肥として近隣の農家が利用していました。
当時の伏見区の人口は今の数割程度と低かった一方、田畑が多く、宇治茶の重要な生産地ともなっていました。シズハモの周辺もかつては美しい野山と畑だったようですが、京阪鉄道が敷設された後、徐々に沿線に人口が増えて今の賑やかな街並みになったようです。
皆さまは、アメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンの『ちいさなおうち』のストーリーをご存知でしょうか。都会の波に飲まれ、忘れ去られそうになった古い家が、最後にもう一度思い出されて大切にされる物語です。この物語の中で家主は、ずっと先の時代まで大切にしてほしいとの思いを込め、家を大切に作ったとされています。この絵本の家はシズハモの町家にも通じるところがあるように思います。
今の統計によると日本の木造住宅は駅周辺の再開発などのために平均30年で取り壊されているそうです。シズハモの京町家は戦災や阪神淡路大震災も乗り越えて、その3倍もの時を生き、この「ちいさなおうち」のように再び新たな光を浴びようとしています。
今回のリフォームでは炭や煤を吸い込んできた廊下や柱、天井をあえて交換せずにそのまま活かし、この家の歴史として残そうとしています。一方、土葺き屋根の大量の土を下ろすことで、その重さに長年耐えられるように丈夫にかつ柔軟に作られたこの家の特別な伝統的な構造を活かします。そして、この先の時代にも多くの人に愛されつつ大切にされるような展示施設として残れる道を作る予定です。
また、リフォームの様子など機会を見つけてご報告する予定です。時々シズハモ便りを覗いていただければ幸いです。