カテゴリー: 伏見街道

  • シズハモ周辺散歩|稲荷大社から案内標識を隠された魅惑の裏道、お産場道

    今日は、伏見稲荷大社のすぐ裏側にありながら、ほとんど案内されることのない秘密の道――産場稲荷社のある「お産場道」をご紹介します。産場稲荷社(さんばいなりしゃ)を中心に点在するお塚のある道が、通称「お産場道」と呼ばれています。

    産場稲荷社

    https://maps.app.goo.gl/Y3C9qsCrK5SiHHTBA?g_st=ic

    明治時代、稲荷山ではお塚信仰と呼ばれる、アニミズム的信仰が大流行しました。

    江戸時代まで、神社は「地域全体の共同の神様」、氏神として長く祀られてきました。しかし、江戸時代が終わり明治時代になると、神道は国の政治の骨格とされ、神社職員は公務員となり、稲荷社家による神職の世襲も否定されました。国家が政治の道具として神道の締め付けを強める中、より自由な新興宗教として稲荷山には自宅や仲間専用の私的なお塚が無秩序に建立されました。

    これらの無数のお塚は、大切にすることで自分達だけを守護してくれる神様がいると信じられていたことから、人々は競うようにお礼の鳥居を奉納しました。こうして、稲荷山はお塚と鳥居で埋め尽くされていきました。

    その後、稲荷大社境内とお塚の土地の境界は整備され、今、お塚は稲荷山の裏山側、お産場道沿いなどに集められています。

    稲荷大社境内の神苑から産場稲荷社等のお塚の集まるお産場道はすぐ近くであり、大きな道がそちらに続いているのですが、お産場道方向へ目立つ高さの標識、表示板はほぼありません。唯一、よーく探すと低めの石碑が一つ、おさんば道、と示しているだけです。

    稲荷大社としてはあえてカオスな民間信仰が点在する産婆道への案内を大きく示さないことで、稲荷大社の静寂と信仰の濃密さを守っているのかもしれません。あと、最近は人が増えたので一方通行にしたいのかもしれません。

    でも私にとってこの隠された産場道はアニミズム的で神仏混淆の古い時代のお狐信仰の形が、今なお深く細い道沿いに残されていると感じられ、とても興味深いエリアです。

    この道で神狐が宿るとされる小さな12ヶ月分の穴などを覗いて回っていると、なんだか冥界か天上界にある、本来見てはいけないものを見て回っているような、ワクワクする気持ちになります。

    人が未知の自然を畏れ敬う、原始宗教を始めた気持ちって、こんな少しおどろおどろしい環境から発生したんだろうな、と感じます。普通の稲荷大社境内にある標識を使っては到底行き着けないような場所ですが、Google Mapを使えばなんとか行き着けます。ご興味のある方は一度、覗かれてみるのはいかがでしょうか。

    これが唯一のお産場道への標識

    お塚、参拝所、茶屋、不思議な鳥居があります。稲荷山を裏まで回れた人達も使う道です。

  • シズハモ周辺散歩|今なお残る農村と竹林の原風景 石峰寺界隈

    今日は宝塔寺と伏見稲荷大社の間にある小さな山中の禅寺、石峰寺、そしてそこから稲荷大社に至る竹林の道についてご紹介します。

    石峰寺

    https://maps.app.goo.gl/AVDNaRHEeBqMkfMu7?g_st=ic

    竹林の道

    https://maps.app.goo.gl/vMgT5eZbq7Zaor7T8?g_st=ic

    石峰寺といえば江戸中期の画家、伊藤若冲の終焉の地。そして彼の墓とともに、晩年、彼が下絵を描いて石工に彫らせた五百羅漢像が竹林の中に眠る寺です。若冲は黄檗宗の禅僧らと親しく、特に売茶翁との親交が深かったことが知られています。

    伊藤若冲は世界的に大人気の画家です。2016年の展覧会には1日平均14000人以上が詰めかけ、最大入場待ち時間が5時間20分以上におよび、当時世界一入場者数の多い展覧会とされたそうです。その超絶技巧や奇抜な構成の絵は一度見たら誰もがその虜になるのかもしれません。

    石峰寺は江戸時代初期に、明代末の中国から来日した隠元禅師が開いた黄檗宗系の寺です。隠元禅師は来日が新しいためか、黄檗宗は当時の文人趣味をよく伝えていて、石峰寺を含め黄檗宗のお寺は特にその門が中国風なところに特徴を感じます。ちなみに隠元禅師は宇治に煎茶の製法を伝えた日本の煎茶道の開祖です。

    なお五百羅漢はかつて三脚などで傷つけられたからか撮影禁止です。

    どうぞご自分の目でお確かめください。とてもユーモラスで人間味あふれる若冲ならではの羅漢像です。

    苔むして山と一体となるその姿を見ると、古来、日本人が山を、その自然を神仏の宿る場所、そしていつか自らの魂も帰る場所と考えてきたその気持ちが少し分かる場所のような気もします。

    石峰寺と稲荷大社の間、竹林の道も面白い場所です。この周辺には不思議な事に今なお農村やタケノコ畑としての竹林の風景が広がっています。これが農耕神、伏見稲荷を囲んでいたこの地域の原風景なのだと思われます。

    住宅地の中に突然現れるそんな不思議な景色をご覧になりたい方は、足元が全く舗装されていないのを覚悟の上で踏み込まれるのもいいかもしれません。きっと何かとても懐かしい気持ちに包まれるかと思います。

  • シズハモ周辺散歩|隠れ家的な大規模山岳寺院、宝塔寺

    今日はシズハモから伏見稲荷までの間にある私の好きな大規模山岳寺院、宝塔寺をご紹介します。

    https://maps.app.goo.gl/pGgojDYvx3TtGQEC6?g_st=

    檀家の方以外には知られていない、京都を一望できるとても静かな山の上のお寺です。京都の中でも人混みに揉まれず、1人静かに歴史を楽しみたい方におすすめの秘密のスポットです。

    シズハモから伏見稲荷を目指して北に歩く途中、大きな石碑のある五叉路があります。辻クリニックの角です。ここが宝塔寺参道入口です。ここから東に向かって少し登っていくと山の上に数々の塔頭、仁王門と本堂、多宝塔が現れます。

    宝塔寺の前身は、平安時代に藤原基経が建立した極楽寺という大きなお寺でした。この極楽寺を管理し、後に日蓮宗の宝塔寺へと改宗させたのは、伏見稲荷大社の社家(神職の家系)である荷田(かだ)氏でした。

    宝塔寺は稲荷山の南端にあたり、荷田氏の菩提寺であると同時に、稲荷大社の神護寺として稲荷大社の参拝者らの崇敬を受け大変栄えました。また、修験道の山岳道場にもなっていました。

    ちなみにシズハモのある藤森玄蕃町の地名も、伏見稲荷大社の社家の玄番氏の屋敷があったことに因むと言われています。伏見稲荷からシズハモまでの間の伏見街道は江戸時代、数々の大規模な社家の屋敷が立ち並ぶ、壮大な社家街だったと言われています。

    江戸時代、なぜそれほど稲荷社家街が栄えていたかというと、商売繁盛を願う稲荷信仰の一大ブームがあったためです。社家とは今で言うと、稲荷定期参拝ツアーの企画運営会社の本社であり、地方に稲荷神社を増やして管轄するフランチャイズ本部を兼ねたような力を持つ存在でした。その菩提寺である日蓮宗寺院でも現世利益の実現を願っていたことから商人らの崇敬を集め、稲荷大社と合わせて宝塔寺への参拝が絶えなかったのも頷けます。なお宝塔寺は日蓮宗総本山の身延山にちなみ、西日本を担当する西身延とも呼ばれているそうです。

    この大きなお寺と稲荷大社の間には石峰寺という、また魅力的な静かで小さな山寺があります。また、そのお寺もご紹介したいと思っています。

    Screenshot
    • ここが宝塔寺への入り口です。辻クリニックの角にあたります。
    • 帰り道のこの景色も魅力的なお寺です。なお、参拝無料です。